子どもの幸せとは何か/ギフテッド

こんにちは。今日は『ギフテッド』を観た話です。僕は普段銃ぶっ放したり車が爆発したりするような作品ばかり見てるんですが、前回の『ファイト・クラブ』のショックが強すぎて「次はハッピーな作品を観たい」と零したところ、友人におすすめされたので見ることにしました。

あらすじ

フランクはフロリダの小さな町の船の修理工で、姪のメアリーと猫のフレッドと暮らしている。

メアリーの母ダイアンは天才数学者として名声を得ていたが、娘を残して自ら命を絶ってしまい、それ以降叔父のフランクがメアリーの面倒を見てきた。

皮肉なことにメアリーは母の驚異的な数学の才能を受け継いでいた。フランクは姉の孤独を理解してやることができなかった後悔から、メアリーを普通の小学校に通う"普通の子ども"として育てる決心をする。

しかし、メアリーの非凡な才能に気づいた祖母イヴリンは才能を伸ばすためにダイアンの時と同様に最高の教育を施すべきだと主張する。教育方針を争うフランクとイヴリンの対立は法廷に持ち込まれることになる。

子どもの幸せ≠親の幸せ?

この映画を観ているとき「子どもの幸せとは何なのだろうか」と僕は考えていました。僕には子どもどころか交際相手すらいないので、現実には縁のない話かもしれませんが(笑)

親にとって「子供が才能を発揮し、偉大な功績を立てる」ということはこの上ない幸せなのかもしれません。しかし、それを子ども自身が望んでいるかどうかは別だと思います。

かといって子どもに「将来どうなりたいか?」なんて聞いたってほとんど意味のないことです。高校生ですら将来の人生設計を明確に描けるひとはごくわずかですから。

大抵の学生は「なんとなく○○の分野に興味がある」だとか「立地がいい」とか「ネームバリューがある」とかで進路を選んで、在学中になれそうな職業をやっとの思いで絞っているものでしょう?

自分が本当にやりたいことがわからないから大抵の子どもは「こう言っておけば親や教師は納得する無難な答え」を答えてしまうのだと思います。「だってタクシードライバーになりたいとか、なりたいものがわからないとか言ったらバカにするんでしょ?」っていう空気は僕が小学生のときも感じていました。無難に通用し褒められる回答は教師か医者かスポーツ選手です。

「あなたのためを思って」という難しい言葉

『ギフテッド』でイヴリンは「メアリーのためにふさわしい教育を用意するべきで、子どもの可能性を潰してはならない」と主張します。これの難しいところはイヴリンが単なるいじわるばあさんとして描かれているわけではないことです。

『シンデレラ』の継母のような最悪なおばばなら成敗して解決なのですが、彼女は彼女なりに我が子や孫のためを思って行動しています。メアリーのことを考えているからこそ、裁判になっても一歩も引きません。

超個人的な話ですが、僕は「あなたのためを思って」っていう言葉嫌いです。僕のことを心配してくれるのはありがたいけど、結局あなたの理想を人に押し付けようとしてないですか?って反発する気持ちになります。僕の置かれてる境遇とか考えてることとか、背景を理解して踏まえた上でアドバイスしてくれるならいいんです。

でも大抵の場合は自分勝手な都合で人を動かすときに使う言い訳文句なんです。自分も無意識に口から出てないかすごく不安になりますけどね。

結局親にだって大抵のことはわからない

フランクはメアリーが楽しそうに数学の勉強をする姿を見て、メアリーを普通の学校へ行かせることが本当に本人にとって幸せなのか悩みます。イヴリンは娘が思いつめて自殺したことを思い出し、娘の果たせなかった夢を孫に託すことが正しい行為なのか自信を持てなくなっていきます。

僕も子どもの頃は大人は自分よりずっとたくさんの解答を知っていると考えていました。しかし、成人して思うのは精神の根幹なんて中学生の頃から変わりません。身体が大きくなって、小手先の知識を得たにすぎません。大人にだってわからないことはたくさんありますし、この先僕が年をとったとしてもわからないことだらけでしょう。

しかし、人はなぜか子どもや部下のことになると何でもわかった気になって偉そうに色々余計なことを言ってしまうものです。自分も気を付けないとなって思います。

余談ですが叶姉妹のインスタグラムで良い言葉を見かけたのでリンクを貼ってみます

https://www.instagram.com/p/BeziB8OhFpH/?utm_source=ig_web_button_share_sheet

おわりに

『ギフテッド』は自分にとても多くのことを考え直すきっかけをくれました。色々好き勝手なことを言ったくせに僕は日々の発言について「あれ言わなきゃよかったな」とか後悔することばかりです。

減らしていきたいとは思うものの、おそらく完全にはなくすことはできないので、その分聞いてうれしくなる言葉を人にかけてあげられるようになりたいです。

 

追記

世の中にはさまざまな生き方があるはずです。年収だとか社会的地位だとかそういったことに目を取られる人も多いですが、自分にできる形で社会貢献すればそれでいいと思います。立派じゃないですか。

「世の中全員が教師や弁護士になってしまったら、誰がチキンを揚げるんだ?」って言葉が好きです。社会が必要としているからその職業が存在するはずです。より条件が良い環境で働くことが幸せに繋がることを否定はしませんが、幸せのあり方はそれだけで測れるものではありません。

中年引きこもりのニュース記事に「50代のひきこもりに共通しているのは、親に振り回されてきたということ。親はそんなつもりはないと言うが、過剰に期待を寄せたり、一つの価値観で道を決めたり、子どもの生き方の多様さを認めてこなかったわけです」と書いてあるのを見て色々考えてしまいました。

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