ゲームの面白さってなんだろう

こんにちは。今週は所用で忙しくて作品視聴とかほとんどできなかったので、もっとゼネラルなお話でもしようかなと思います。話題が温まるまで書かない方針だとかえって生産性が下がるなって。中身がしょぼくても頻繁に何か書いたほうが自分の思考を刺激して良いサイクルに入るのではないかと思いました。

 

「ゲームの面白さ」について

ゲームを遊んでいるとき、自分はどういった部分に面白さや楽しさを感じているのだろうと考えたことがあります。(自分はゲームプランナー志望です)

非常に大きいテーマなので答えはたくさんあるかと思いますが、自分は「葛藤」が面白さを生み出している大きなファクターだと感じました。

 

ゲームにおける「葛藤」とは

ゲームには常に選択がつきまとっていると思います。カードゲームやボードゲームは特にその傾向が顕著に現れていますよね。どの選択をするのかによってさまざまな影響が出て、プレイヤーはその責任を引き受ける。良い成果が得られることもあれば、悪い結果になることもある。そこにプレイヤーは葛藤するのです。

 

抽象的すぎるので例を示して話しましょう。

大人気シリーズ『モンスターハンター』の共通ゲームサイクルは次のようになるはずです。

1【モンスターを狩猟する】

      ↓

2【モンスターから得た素材アイテムで強い装備を作る】

      ↓

3【より強大なモンスターを狩猟する】

      ↓

4【より強大なモンスターから得た素材アイテムでもっと強い装備を作る】

以下繰り返し

 

ここで葛藤が大きく介入する箇所は2です。

セオリー通り少しずつ装備を強化していく手」と「アクションパートのプレイヤースキルに頼ることで装備強化をスキップする手」を選ぶことができます。

前者は

メリット:「プレイヤースキルが上手でなくても、装備で下駄をはけるので強力なボスを突破しやすくなる

デメリット:「素材や資金を消費してしまう、素材集めの手間がかかる

後者は

メリット:「面倒な素材集めをスキップできる

デメリット:「装備を強化した場合に比べて難易度が上昇する

以上のように説明できるはずです。

(どのスキルを持つ装備を作るか?どのような戦法で挑むか?という葛藤もありますが今回は説明の円滑化のため省略します)

 

このような葛藤を経て、見事打ち勝ったときの達成感をユーザーは感じ、喜びを生み出すのではないでしょうか。

 

しかし、選択にはユーザーに対するアカウンタビリティ(説明責任)がなければなりません。意思決定するために十分な情報がなければユーザーは選択に対する責任を受け入れることができません。

例えば何の情報もなしにAかBを選べと言われても選択に必要な情報が欠如しているのであてずっぽうに選ぶことになります。そこに葛藤もなければ失敗した責任も感じることはありません。ただ「理不尽だ」と感じることでしょう。初見殺しが嫌われる理屈です。

モンスターハンター』の例に戻すと、村人が「リオレウスは炎を使う」と発言して火耐性を付ければ有利になるヒントをくれたり、受注書のコメントにもさまざまなヒントがちりばめられています。こういった情報をもとにプレイヤーが意思決定することを期待しているわけです。

 

選択肢はあればいいってものでもない

昔『ファイナルファンタジーXⅢ』などのことを指して「1本道RPG批判」が横行した時代がありました。僕は別にあの作品が嫌いなわけじゃありませんし、あのバトルシステムは好きです。しかし、ゲームにおいて「選べないこと」がユーザー不満足を引き起こしてしまった例と言えそうです。

しかし、選択肢があればいいってもんでもないでしょう。選べる選択肢こそたくさんあるものの、レベルデザインが失敗しているせいで実質的に一択になってしまうことってよくありますよね。遊戯王の環境がEM竜剣士一色になってた時なんかは典型例で、他のデッキ選択肢は一応存在しても勝ちを目指したら選択肢が1つしかなくなってしまった。

同じレベルの選択肢を複数用意できることが理想ですが、それが難しいんですよね・・・。ゲーム作りは大変だ・・・。